染殿院は、弘法大師・空海により八〇八年に創建されました。その約五〇年後、文徳天皇の后は、天皇より深く愛されているものの、子宝に恵まれませんでした。そんな折り、「四条の寺院にご利益のある地蔵菩薩が安置されている」と聞き、一七日の願をかけ祈りました。すると、最終の満願の日に懐妊の兆候があり、男の子を出産しました。のちの清和天皇です。このことにより、后が染殿皇后と呼ばれていたことから、地蔵菩薩は「染殿地蔵」、寺院は「染殿院」と呼んでいただき、安産を守る寺院として全国へ、そして現代へと広めていただきました。
鎌倉期の国宝「一遍聖絵」第七巻にて、時宗開祖一遍上人が遊行行脚の際、大津関寺から入洛、四条京極の釈迦堂にて念仏扶賦算したと記載されているのは当院のことである。
地蔵菩薩は、弘法大師・空海作。木像裸像で高さ約二メートルもあるそうです。と言いますのも、実は、五十年に一度しか開帳しないため寺院の者でさえ見たことがない秘仏です。また、数多くの伝説が残っております。一つは、松尾にある苔寺「西芳寺」を創建された夢窓国師にまつわる話。国師が庭を作ろうとしていましたが、石を動かすことができません。そこへ突然見知らぬ僧侶が現れ、手伝ってくれました。国師はうれしくて自分の袈裟を贈ります。幾日か経ち、国師が四条の染殿院に参られたら、僧侶に贈ったはずの袈裟を地蔵菩薩が羽織っていたとのことです。
京都市中京区新京極通四条上ル中之町五六二 075-22-3648